凧は際物師の道楽仕事
【高度成長期と凧八の変容】
そしてもうひとつ。
凧八の家業が、男性から女性の手へと受け継がれていくこととなった、
最も大きな要因として、社会の風潮の変化が揚げられます。
三代目・辰三郎の後、その娘の阿さ子が四代目を受け継いだわけですが、
辰三郎・きの夫妻には、阿さ子の他にも子があり、男子もおりました。
しかしながら、辰三郎・きの夫妻は、
「これからの世の中、男子は学をつけて世に出ていくべきだ」
という考えから、あえて家業を継がせようとはしなかったのです。
今でこそ、凧屋としての看板を掲げていますが、
先にも申し上げたように、当時の凧屋は「際物師」。
サラリーマンのような安定収入は、ありませんから、
息子たちに後を継がせなかった辰三郎夫妻の気持ちにも納得です。
当時、辰三郎は新聞の取材に対して、凧稼業を「道楽仕事」と云い、
自分の代で絶やして良いと話しています。
従って絶頂期で辰三郎が急逝した折、
続く社会のニーズに対して、すぐに家業を継げる者といえば、
それまで見よう見真似で手伝いをしていた娘の阿さ子しかおらず、
阿さ子に息子がないように、裏方で手伝う娘の幸江にも息子はなく、
いつしか凧八では、女性が凧師になるということは、
ごく自然な流れとなっていったのです。
そしてもうひとつ。
凧八の家業が、男性から女性の手へと受け継がれていくこととなった、
最も大きな要因として、社会の風潮の変化が揚げられます。
三代目・辰三郎の後、その娘の阿さ子が四代目を受け継いだわけですが、
辰三郎・きの夫妻には、阿さ子の他にも子があり、男子もおりました。
しかしながら、辰三郎・きの夫妻は、
「これからの世の中、男子は学をつけて世に出ていくべきだ」
という考えから、あえて家業を継がせようとはしなかったのです。
今でこそ、凧屋としての看板を掲げていますが、
先にも申し上げたように、当時の凧屋は「際物師」。
サラリーマンのような安定収入は、ありませんから、
息子たちに後を継がせなかった辰三郎夫妻の気持ちにも納得です。
当時、辰三郎は新聞の取材に対して、凧稼業を「道楽仕事」と云い、
自分の代で絶やして良いと話しています。
従って絶頂期で辰三郎が急逝した折、
続く社会のニーズに対して、すぐに家業を継げる者といえば、
それまで見よう見真似で手伝いをしていた娘の阿さ子しかおらず、
阿さ子に息子がないように、裏方で手伝う娘の幸江にも息子はなく、
いつしか凧八では、女性が凧師になるということは、
ごく自然な流れとなっていったのです。