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静岡の凧として、日本の凧として。

かつては、駿府の城下においても凧揚げは盛んに行われ、
地元の若衆や子供達が3月(現在の4月)には、
町の西部を流れる安倍川の河原で、凧揚げ合戦などを、行っていたといいます。

また明治28年頃までは、4月に行う浅間神社の
廿日会(はつかえ)祭(さい)(注3)に、「河原行き」と称して、
やはり安倍川の河原にて、二十枚張り、三十枚張り(注4)の大凧を揚げ、
競い合っていました。

長年、土地の「凧」(郷土玩具)として親しまれながらも、
まだ「駿河凧」という、固有の名称はありませんでした。

昭和中期の本では、凧八二代目・加藤徳次郎の凧も、「凧(静岡)」とだけ、紹介されています。

「駿河凧」という名称は、昭和40年代に、凧八三代目・辰三郎が広く世間に認められた折、
郷土の版画家・小川龍彦氏(1910-1988)らによって、命名されたもの伝えられます。

駿河凧はこうして、駿河の人々と風土に育まれた、
いわば地元文化の結晶といえるでしょう。

しかしながら、この半世紀で子供で遊具であった『凧』は、
すっかり玩具・遊具という位置からは転落したように思われます。

どちらかといえば「装飾品」「お土産品」「縁起物」といった、観賞用としてのニーズが大半です。

「凧揚げをしたい!」と思われるような凧を愛好する方は、
自ら好みの凧を作って、揚げておられるのが現実でしょう。

手描きの和凧である駿河凧は、高価なイメージがあり、
揚げるのには相応しくないと感じられる方が多いようです。

実際は、どうでしょう?

どうか、このサイト内を徘徊して「駿河凧」について、考えてみて下さい。

浮世絵は、芸術品・美術品として受け継がれても、
庶民文化である凧絵は廃れてしまうのでしょうか?

浮世絵や錦絵を元に描かれた二次的創作物でも、
凧絵師の描いた凧絵に、著作権はないのでしょうか?

静岡の駿河凧は、凧八の駿河凧は、
日本の文化として生き残るのでしょうか?
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注3:徳川家康が安倍川の西の建(たき)穂寺(ょうじ)にお参りになった際、
稚児の舞を気に入り、2月20日の「お會式」に奉納したのが始まり
注4:昔の手漉き和紙の大きさを基にした数え方で、
一枚が「一尺×一尺五寸(30.3cm×45.45cm)」程の大きさです。







現在、「凧八」店舗
(静岡県静岡市葵区
本通4-4-4)
での作業はしておりません。

何卒、御承知おき下さい。

尚、店舗兼住居として
暮らしておりました四代目ですが
健康上の理由から施設にて
生活をしております。

店舗は西陽が当たり
建物が古く湿気等も
多いため、製品管理に
不向きとなりました。


御注文等、三番町の作業場
にて対応しております。
御容赦下さい。


五代目 凧八 後藤 光

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